小館藤助、武田兵左衛門、小松多兵衛、西宮■■助、岸冶右衛門、渡部■■、岸勘五郎、芳賀七左衛門
徳子と書いてマッコ、トッコと呼ばれもした。
十狐が独鈷になったのは享保十五年(1730)五十年遡る御領内道程調に、数珠掛-味噌内―直越―道目木を行く「十狐名主前より十二所札場まで」八キロ弱が示されている。山道ながら公道である。地蔵菩薩と猿田彦大神を据えた通称庚申様と呼ばれるこの道標は、天保三年(1832)のものである。
建立者一同の上段に立昌寺十七世独智と彫られているが、十七世は十二年前とあるから、生前その建立を考えておられた志を汲んだものであろう。
大日堂のある独鈷、その道筋に猿田彦に道標は、まことにふさわしい。審議の上、比内町文化財に指定した。(昭和五十三年六月十五日指定 比内町教育委員会)
地区 | 比内地区 |
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種別 | 信仰碑 |
所在地 | 大館市比内町独鈷字川久保 |
備考 | 調査日:2011.7.16 建立年:天保3年(1832) 場所:川久保集落 北入口 田んぼの中 大きさ:[高さ]142㎝ [幅]38㎝ 碑文:右十二所小道 イ(梵字)猿田彦大神塔 [右上]日輪 [左上]月輪 左扇田道 [両側面]千天保 壬辰七月十有七日 [背面]立昌寺十七世独智 参照:比内町文化財目録第8号 比内の信仰碑 P44 |