扇田 神明社

扇田 神明社画像2

 今をさる865年前(藤原清衡、中尊寺建立、文治2年、1105)の記録によると-「伊勢堂の森に祠あり」とあり比内地方はあきらかに平安末期には奥州の豪族、鎮守府将軍清衡に勢力下にあった。当時藤原氏は十二所に館を造って軍資金の調達のため尾去沢、大葛、前田、阿仁鉱山の開発にあたった。鎌倉時代浅利勝則(扇田、長岡城主)が嘉吉3年4月(1444)現在地に社殿を改築した。更に佐竹義宣が水戸から遷封されて秋田(久保田)の藩主となるに及び佐竹氏の祈願社として水戸から奉遷した「神輿」を鎮座させて(慶長6年、1602)今日に至ったものである。社殿は境内が戊辰の役(1866)の激戦場となったため焼失した。再築後拝殿と本殿は現在まで続いている。11代前の神官藤原ゆう哲氏の私記(永正1年、1504) には―神社の歴史を物語風に平易に書いてあり「天地人総系図」は天照大神から神武天皇までの系図で和紙千枚位。「御用日記」(寛文12年、1673)は社寺奉行と神社間との往復文書の件が記されている。神官は、明治維新前は「藤原」姓であったがその後「長岡」氏を名乗った。長岡氏の初代は、文治5年(1190)のころ。さらに元禄1年(1697)の記録には、神明社ではなく「神明堂」とある。氏子は「お日さま」と尊称しているが「お伊勢さま」が正しく伊勢堂の森に際神しているからと27代目の宮司がいう。祭典は藩政時代は旧6月14、15、16日と9月15、16日の二回。幕末は一回となり明治43年(1910)に内務省令により新暦7月15、16日と改められた。例祭は7月16日。

地区 比内地区
種別 神社
所在地 大館市比内町扇田字本道端
備考 調査日:2011.8.24
建立年:不明
建立者:不明
祭神:天照皇大神、応神天皇、大物主神、大市姫神、倉稲魂神、言代主神