錦神社

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 奥州平泉の藤原四代泰衡は源頼朝に追われ蝦夷地に逃れようとして贄(にえ)の柵、今の二井田に家臣の河田次郎を頼って立寄ったところを、その裏切りにあって文治5年(1189)9月3日に殺された。河田次郎は「泰衡をかくまった罪により、泰衡を討って頼朝の恩賞を」と考え主人殺しの罪にならずに泰衡を討つ計画を練った。旧9月3日の夜、次郎は多くの家来を使って、頼朝の大群が攻め入ったように見せかけ泰衡が観念して切腹するように仕向けた。この計画は成功し次郎は泰衡の首をはねた。その後、首のない泰衡の死体は里人によって錦の直垂(ひたたれ)に大事に包まれて埋葬された。この墓が「にしき様」と呼ばれて錦神社となり、毎年旧歴9月3日(現在は新暦9月3日)にお祭りが催されている。ここから南西約3kmの五輪台(比内町西館)には泰衡のあとを慕い長い旅を続けてきた奥方とその家臣にまつわる話が伝わりその遺跡は西木戸神社として祭られている。

地区 大館地区
種別 神社
所在地 大館市二井田字上出向
備考 調査日:2011.9.3
建立年:不明
建立者:不明
場所 :二井田 比内田代線沿い 二井田橋近く