大館野遺跡発掘調査報告書

大館野遺跡発掘調査報告書を刊行しました

大館野遺跡発掘調査報告書

大館野遺跡は、大館市立矢立小学校・中学校及び矢立保育所の建設事業に伴い、昭和62~平成元年度に大館市教育委員会が発掘調査を行い、縄文・弥生・平安時代・中世の複合遺跡であることが分かりました。特に平安時代では、竪穴住居跡が60軒も見つかっており、市内で最大級の大集落跡です。

大館野遺跡の資料については、『大館の歴史』に概要を示し、調査時の写真パネル及び出土品は大館郷土博物館に展示していますが、資料全体の内容について報告書は刊行できていませんでした。

当該資料は、平安時代の大館地方の代表的な資料として、北日本の古代研究者から注目されております。その学術的価値をかんがみ、平成23年度に緊急雇用創出臨時対策基金を活用して、図面・出土品の再整理を行い、このたび本報告を刊行するはこびとなりました。

このWebサイトでは、報告書のPDFを公開しますので、研究資料としてご活用ください。

A4判、358ページ

遺跡の概要

大館野遺跡は、大館市白沢地内、大館盆地北部の大館野台地に所在します。大館野台地は下内川とその支流である大森川に形成された河岸段丘であり、遺跡は標高約106mの地点で、地形区分では低位段丘面に立地しています。

遺跡は大館市立矢立小学校・中学校及び矢立保育所の建設事業に伴い、昭和62(1987)~平成元年(1989)に発掘調査が実施されました。調査の結果、縄文・弥生・平安時代・中世の複合遺跡であることが判明しました。縄文・弥生・中世の遺構・遺物はごく少なく、主体は平安時代の集落跡です。

平安時代の遺構は、調査区全体から検出され、遺物は住居跡の埋土やカマド内から出土しました。平安時代資料の総数はコンテナ約100箱です。おもな遺物は土器(須恵器・土師器)が大多数で、ほかに鉄製品、炭化した木製品、鉄関連遺物です。

遺構の分布をみると、Ⅰ区とⅡ区に集中し、溝(垣根や道路)に区画された竪穴住居跡や掘立柱建物跡などの遺構が重複して分布しています。掘立柱建物跡には高床式倉庫と考えられる総柱建物が多くあります。このほか、製鉄炉跡が3基みつかっています。また、SX6・8とした遺構には焼土と炭化物の集中と土器がみられ、土師器を焼成した遺構であったことが推定されました。

また、奈良教育大学(当時)三辻利一教授による胎土分析の結果などから、須恵器には青森県五所川原産が大多数を占めており、五所川原産須恵器が数多く大館地方へもたらされていることが、判明しました。この須恵器は、その特徴から、持子沢段階(10世紀第1四半期)~前田野目段階(10世紀第2四半期~第3四半期)まであることが分かりました。

このほかに注目される資料としてSI58竪穴住居跡床面出土の白磁があります。これはその特徴から、中国福建省で11世紀後半~12世紀前半頃に生産されたものです。この頃(平安時代末期)の遺跡として、大館野遺跡から北に1.5km程離れたところにある矢立廃寺跡(秋田県指定史跡)があります。同時期の遺物が大館野遺跡にも存在していることから、両遺跡に何らかの関係があったことがうかがえます。両遺跡をつなぐ古道が存在していることからも、大館野遺跡は奥州藤原氏が整備した「奥大道」のルート上に位置していた可能性が考えられます。

以上のように、大館野遺跡は、大館地方におけるまとまった建物群が検出された平安時代中期の代表的な遺跡であり、その出土品は学術的に貴重な資料です。また、大館市の歴史を解明する上で欠くことのできない大変貴重な文化財であり、今後も大切に後世に伝えていく必要があります。

調査報告書PDF

表紙から第Ⅳ章まで

第Ⅴ章から抄録まで

写真

  • 大館野遺跡Ⅱ区東半部
  • 製鉄炉
  • 大館野遺跡出土須恵器長頸瓶
  • 大館野遺跡出土土師器小型甕