大館佐竹家

慶長7年(1602)、徳川家康の命により、常陸の国(今の茨城県) から秋田へ国替えとなった佐竹義宣に従い秋田入りした小場義成(義宣の従兄弟) は、慶長15 年(1610) 正式に大館城代となりました。
義成を初代として、3代義房の時から佐竹姓を名乗るようになり、6代義村の時「西家」の称を許され、以後「西家」や「お西様」と呼ばれるようになりました(常陸時代、本城から見て小場城が西に位置していたため)。


大館佐竹家の歴代系図

展示品の紹介

鸞斎書「六曲一双屏風」

品名:鸞斎書「六曲一双屏風」

171.5×370.0(cm)
右隻
1848(嘉永元)年

第10代大館城代佐竹義茂(号を鸞斎あるいは此君斎)は、幼少のころより学問を好み、漢詩をよくし、特に大窪詩仏を慕う風の詩を残した。また、書を秋田の大書道家、石田無得に学び、能書の誉れ高い人物でもあった。他にも多くの書を残している。
備考:大館市指定文化財