技術・工学

鳥潟 右一:とりかた ういち(1883~1923)

鳥潟 右一の写真

大館市花岡町に生まれ、大分中学校から東京の開成中学校に転校し、第一高等学校、東京帝国大学( 現在の東京大学)電気工学科へと進みました。大学を首席で卒業後、逓信省電気試験所に入り、通信技手になりました。
1909年からアメリカやイギリスなど5カ国に留学し、帰国後にTYK式無線電話を発明しました。TYKは共同発明者の鳥潟右一、横山英太郎、北村政次郎の3人のイニシャルをとったものです。その後、三重県鳥羽市で無線電話の世界初の実用化に成功しました。1915年には、東京と中国の上海の間を、無線電話を使って通信することに成功し、世界的に有名になりました。1920年に逓信省電気試験所長になりましたが、1923年に亡くなりました。

鳥潟右一 年表
できごと
1883年(明治16) 大館市花岡町に生まれる。
1906年(明治39) 東京帝国大学(現在の東京大学)電気工学科を首席で卒業、逓信省電気試験所に入所。
1908年(明治41) タンタラム検波器を発明。
1909年(明治42) 鉱石検波器を発明。海外に留学(~1911)
1912年(明治45) TYK式無線電話を発明。
1914年(大正 3) 三重県鳥羽市で無線電話の世界初の実用化開始。
1915年(大正 4) 東京と中国の上海の間を、無線電話を使って通信することに成功。
1920年(大正 9) 電気試験所長に就任。
1923年(大正12) 死去。