中世の大館

矢立廃寺跡

大館市白沢字松原に寺跡があることは古くから知られていて、江戸時代中期の菅江真澄や二階堂道形が記録に残し、地元では藤原藤房卿の隠遁の地として、また秋田市山内の松原補陀寺の旧跡として伝えられてきました。
昭和39・48・59・60・61 年と5回の発掘調査によって7棟の建物跡が検出され、掘立柱による古い建物と、礎石による新しい建物の新旧2時期の建物跡が確認されました。礎石建物は5棟からなります。
遺跡からは岩手県平泉の藤原氏関係遺跡で出土しているものと同様のかわらけや、須恵器系陶器、中国福建省産の白磁碗が出土していて、それらは12 世紀前半~中頃に比定できます。
主要建物であるC 建物の南面は建築当時に造成工事が行われていますが、造成面の下から便所跡が検出され、便所穴から排泄後の清掃具である籌木(チュウギ)やウリ・ヤマブドウ・アケビ・ナスなどの未消化の種子が出土しました。


礎石建物跡


便所遺構

比内地方と浅利氏

中世の大館地方は「ひない」と呼ばれ、十狐城や長岡城を本拠にした浅利氏が支配していました。浅利氏は比内各地に城館を築き家臣を配置しましたが、それは防衛上のほかに、城館を拠点に各地の開発を進め経済的に実力を高めようとする目的がありました。
大きな沢の開口部に館をつくり沖積低地の開墾開発を進め「前田」と呼ばれる広大な田園を作り上げました。
しかし、浅利氏の比内地方経営は城下町づくりもなかなか進められず、戦国大名として発展する基盤はきわめて弱かったようです。


大館市の城館分布図


「比内千町と申習候村数覚」にある比内の村々(大館市内のみ抜粋)

展示品の紹介

品名:白磁 四耳壺破片

遺跡名:矢立廃寺

白磁 四耳壺破片  

品名:便所跡からでたタネ類

遺跡名:矢立廃寺

便所跡から出土したウリ、ヤマブドウ、アケビ、ナスなどの未消化の種子。

便所跡からでたタネ類

品名:籌木(チュウギ)

遺跡名:矢立廃寺

便所跡から出土。籌木は排泄後の清掃具として使った。

籌木(チュウギ)

品名:かわらけ皿

遺跡名:矢立廃寺
14.7φ×3.2(cm)

かわらけ皿

品名:珠洲焼四耳壺

遺跡名:長森
この壺はほかの2点の壺とともに、花岡町字長森地内の水田中から偶然発見されました。
これらは、能登半島珠洲を窯元とする「珠洲焼」で、日本海交易で能代を経由し米代川を遡ってもたらされたものと考えられます。
口径11.5㎝、器高24㎝、肩部に把手を付ける四耳壺(しじこ)で、体上部に櫛目の波状文が施されています。

なお、能代市二ツ井町にあるエヒバチ長根窯跡でも同様の製品が生産されており、県内産の可能性もあります。
大館市指定文化財(平成4年6月15日指定)。

珠洲焼四耳壺