近代の大館

明治2年(1869)版籍奉還。同4年8月29日の廃藩置県により新しい行政区画が作り出され、それとともに各方面の制度改正が一斉に着手されました。明治10年以来、東大館町(内町と小館町1279戸)と西大館町(外町394戸)に分かれていた大館のまちは、明治22年に合併し、大館町となりました。
明治初年の新国道開発工事、同32年の青森から大館に至る国鉄奥羽線の開通、同41年の小坂鉄道、大正3年の花岡線、同12年の秋田鉄道(花輪線)の開通により、従来の米代川舟運による交通運輸はまったく変貌しました。国有林野事業に伴う木材製材、木製品工業の発展、花岡鉱山の隆盛等による産業の大躍進により、旧市街から大館駅へ結ぶ長木川以北の田地一帯には、街路沿いに家屋が立ち並び、製材工場が林立し、大館駅周辺には、大館・釈迦内を結ぶ拠点として人口が集中しました。
こうして、秋田県北部における政治・経済・文化の中心都市として発達してきた大館町と、純農村地帯として長く伝統を維持してきた釈迦内村が、昭和26年4月1日、解体合併して、人口3万56人の全国最小の市として大館市が誕生しました。さらに、同30年3月1日、周辺の長木・上川沿・下川沿・真中・二井田の五村を、また同31日には十二所町を編入しました。
昭和30年3月1日、花岡町と矢立村の合併で花矢町が誕生しますが、同42年12月21日、花矢町を大館市に編入合併して、人口7万8千人を擁する新しい大館市の誕生をみるに至りました。
平成17年6月20日、比内町・田代町を合併し、人口84,701人、面積913平方キロメートルの現在の大館市の姿となりました。

写真で見る明治・大正


大町通り


田町通り

vir_kindai_odatetyugaku
大館中学校


公立大館病院

vir_kindai_eki
大館駅鉄道開通


大館女子小学校


大館男子小学校

vir_kindai_zyoshikou
大館高等女子校
 

聖堂は秋田県指定文化財、また聖堂内にある山下りんの聖像画(イコン)19 点は大館市指定文化財となっています。
聖堂は明治25 年、当時の信者が自邸内に建てたもので、東京神田ニコライ堂の建築を手がけた大工が関わっています。秋田杉を巧みに加工して作られた、木造建築の教会として貴重なものです。


昭和20 年代の北鹿ハリストス正教会聖堂


修復された北鹿ハリストス正教会聖堂

展示品の紹介

品名:北鹿ハリストス正教会聖堂模型

13.0×47.5×26.7(cm)

北鹿ハリストス正教会聖堂模型