明治から昭和中頃までの展示資料を一部紹介します。
小野儀助日誌
小野儀助は大館町大町呉服店マルコの大旦那で、明治期の大館実業家を代表する一人です。
日記は、明治20 年から31 年にかけてのもので、明治期の大館を知る貴重な資料です。
この日記から、当時のきりたんぽや、アメッコ市などを知ることができます。
小野儀助日記 二号雑詠
明治21年1月4日(旧暦11月21日)の日記 参号記
「夜切たんぼ鶏鍋ニて大腹せり」の記述(写真右)
秋田釣針
江戸時代後期に武士の内職として作られはじめましたが、明治後半から昭和初期にかけては全国の手作り製品の中でも著名なものの一つとして挙げられていました。
昭和50年代に入り、製作は終了しましたが、釣り人の間では幻の釣針として長くその名が残っています。
大火
市政施行後の昭和28年4月29日に官庁街一帯、昭和30年5月3日に大館駅前、昭和31年8月18日に東大館駅前~中心商店街、昭和43年10月12日に御成町二丁目一帯を焼失する四度の大火がありました。その焼失面積は23万8千平方メートルに及び、膨大な損害を被りました。
昭和30年 大館市御成町一丁目大火跡