文学

小林 多喜二:こばやし たきじ(1903~1933)

小林 多喜二

大館市川口の農家に生まれました。多喜二が4歳の時に一家をあげて北海道小樽へ移住し、叔父のパン屋を手伝いながら、1924年に小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)を卒業し、北海道拓殖銀行に就職しました。1928年、小樽の三・一五事件を題材とした『一九二八年三月一五日』を発表し、プロレタリア作家として注目を集めました。
1929年、代表作『蟹工船』を発表しました。しかし、左翼活動のため北海道拓殖銀行を解雇され、翌年上京しました。以後プロレタリア作家同盟の有力な指導メンバーとして活躍しました。弾圧を逃れて地下生活に入りましたが、1933年、逮捕され築地署で激しい拷問を受けて死亡しました。

小林 多喜二 年表
年 できごと
1903年(明治36) 大館市川口に生まれる。
1907年(明治41) 北海道小樽に移住。
1924年(大正13) 小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学)を卒業、北海道拓殖銀行に就職。同人誌『クラルテ』を創刊。
1927年(昭和 2) 労農芸術家連盟に加盟。
1928年(昭和 3) 『一九二八年三月一五日』を発表し、注目される。
1929年(昭和 4) 『蟹工船』を発表。北海道拓殖銀行を解雇される。
1930年(昭和 5) 東京に移住。治安維持法違反で逮捕され、刑務所に入る。
1931年(昭和 6) 日本共産党に入党。日本プロレタリア作家同盟書記長になる。
1932年(昭和 7) 『党生活者』を発表。
1933年(昭和 8) 逮捕され拷問を受け、死去。

村木清一郎:むらき せいいちろう(1887~1966)

村木清一郎

小坂町に生まれ、大館中学(現在の大館鳳鳴高校)在学時に文学にめざめ、短歌雑誌に盛んに投稿しました。早稲田大学英文科を卒業後、『秋田県史』の編纂に携わりました。1916年に小坂町立実科高等女学校(現在の小坂高校)の創立に伴い教諭になり、1918年から退職までの39年間は、大館中学に勤務しました。
1955年、『譯萬葉』を予約限定出版しました。この『譯萬葉』は、万葉集全4536首を「5・7・5・7・7」の31音の美しい短歌の形で口語訳したもので、前人未踏の偉業として高く評価されています。この業績がたたえられ、第1回秋田県文化功労章を受章しました。また、有浦小学校、雪沢小学校、大館第一中学校、下川沿中学校の校歌の作詞も手がけました。

村木清一郎 年表
年 できごと
1887年(明治20) 小坂町に生まれる。
1911年(明治44) 早稲田大学英文科を卒業。
1912年(大正元) 帰郷し、『秋田県史』の編纂に携わる。
1916年(大正 5) 小坂町立実科高等女学校(現在の小坂高校)の教諭になる。
1918年(大正 7) 大館中学(現在の大館鳳鳴高校)の教諭になる(以後39年間勤務)。
1950年(昭和25) 生涯唯一の歌集『朝月夜』を自費出版。
1955年(昭和30) 『譯萬葉』を予約限定出版(500部限定)。
1956年(昭和31) 『譯萬葉』の普及版刊行。第1 回秋田県文化功労章を受章。
1957年(昭和32) 退職。『萬葉以前』刊行。
1960年(昭和35) 『詩訳法華経』を限定出版(300部限定)。
1966年(昭和41) 死去。