先史

大館に人が住み始めたのは、約20,000 年前の後期旧石器時代のことです。
彼らにとってすばらしいふるさとであった大館には、以後、断絶期をはさみながらも住みつづけられ、280 ヵ所をこす遺跡が残されています。
あるときは北海道地方の文化を取り込み、また中央政府の脅威と対峙しながらも、この土地に暮らしてきました。


大館の各時代の遺跡と土器

大館市内で最初に人が住んだ痕跡は、松木(まつき)高館(たかだて)(ひら)遺跡から出土した5点の石器です。これらの石器はナイフ形石器や石刃(せきじん)と呼ばれるもので、今から約20,000年前の後期旧石器時代に位置づけられます。松木高館平遺跡は旧石器時代の遺跡としては、秋田県北部を流れる米代川(よねしろがわ)流域ではもっとも上流部に位置しています。当時は氷河期であり、気温は現在よりも平均で7℃ほど低く、動物を追いかける遊動生活をしていたと考えられています。

展示品の紹介

品名:大型ナイフ形石器

遺跡名:松木高館平
27,000~23,000年前
(左から)
9.6×3.6×1.1(cm)
12.6×3.0×0.9(cm)
13.8×4.3×1.1(cm)
16.6×4.8×1.3(cm)
19.0×4.4×1.5(cm)
22.5×3.6×1.5(cm)
珪質頁岩

旧石器時代における石刃技法と呼ぶ製法技法によって作られたナイフ形石器(27,000~23,000年前 )で、石材は珪質頁岩、最大のものは長さ22.5㎝、次のものも19.0㎝で、全国的にもあまり例をみない大型の石器です。
大館市指定文化財

今から約16,000年前に土器が発明されました。おもに縄目の文様があることから縄文土器と呼ばれ、これを使用した文化を縄文文化といいます。縄文時代は10,000年以上も続き、土器の形態や文様から草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に区分されています。早期以降は気候が暖かくなり、豊かな森林が形成されました。大館市内では、米代川とその支流域に形成された丘陵や台地上に、早期から晩期までの遺跡が約180ヵ所見つかっています。国道103号改良工事や大館西道路建設等に伴う発掘調査が60ヵ所以上で実施されています。調査の結果、市内各地で竪穴(たてあな)住居や貯蔵穴、墓などからなる集落跡が発見されており、縄文人は定住生活をしていたことが分かっています。このコーナーでは、発掘調査等で得られた出土品を展示しています。

大型ナイフ形石器

品名:岩偶

遺跡名:釈迦内狼穴
縄文時代前期、BC3000年
23.8×12.6×3.0(cm)

岩偶

品名:鋒形石器(ホウケイセッキ)

遺跡名:山館上ノ山
縄文時代~平安時代の集落遺跡です。遺跡は山館沢沿いの台地上に位置しています。
これらの石器は昭和62年(1987)の秋田県教育委員会の発掘調査によって出土しました。これらは実用的な利器ではなく、特別の儀式や祭祀に用いられた宝器と考えられます。縄文時代の人々の精神文化を探る上で大変貴重な資料です。
秋田県指定文化財(平成5年4月9日指定)

縄文時代前期中葉、BC3000年
(上)
長さ34.0㎝、刃部長さ9.0㎝、
刃部最大幅11.4㎝
重量1311g
(下)
長さ37.6㎝、刃部長さ9.6㎝、
刃部最大幅13.2㎝
重量1954g

鋒形石器(ホウケイセッキ)

品名:塚ノ下遺跡出土土偶

遺跡名:塚ノ下
縄文時代の代表的な遺物のひとつである土偶は、粘土で作られた人形です。祭祀説や安産祈願の道具説など諸説がありますが、解明には至っていません。
この土偶は、昭和52~53年(1977~1978)の秋田県教育委員会の発掘調査によって、約4,000年前の縄文時代の土器とともに発見されました。
両眼に天然のアスファルトが充填され、眉は隆起し、眉間には鼻孔があけられています。両眼にアスファルトが埋め込まれた土偶の発見は、極めてまれな例です。捨て場と考えられる場所から頸と胴体が離れた状態で発見されたこの土偶は、その制作や使用目的など、縄文時代の人々の精神文化を探る上で大変貴重な資料です。
秋田県指定文化財(平成23年3月22日指定)

縄文時代後期前葉、BC2000年
身長24.0㎝、肩幅12.5㎝、
胴部の厚さ1.8㎝

塚ノ下遺跡出土土偶

品名:ヒスイ大珠

遺跡名:萩ノ台Ⅱ
(大)
5.2×2.6×1.0(cm)
(中)
4.6×2.4×0.8(cm)
(小)
3.4×1.8×0.8(cm)

ヒスイ大珠